偶然、同じ日に同じ手紙を読む機会がありました。
自分の年齢に心と体が追いつかなくなってきています。
体にトラブルがあると、出来なくなってくることを意識せざるを得ません。
また、両親に対し、昔の記憶が邪魔をして、出来なくなってきたことを、
咎めてしまうことがあります。
許容できない、認めたくない部分があることは確かなのですが、
どうすることもできません。
両親に対してだけでなく、
自分自身にも、実は、許容できない、認めたくない部分が
大いにあることに気づきながら、過ごしてきました。
自分自身がそれを許せないから、他者に対して、
ネガティブな感情がでることを薄々は感じながらも。
井上祐宏さんの著書
「今日が最期だったら誰に何を伝えますか?」の中に載っていた詩と
母が、「友達に渡すからコピーして」とお願いされた手紙がまったく同じものでした。
この手紙を読んで、先に書いた思いが消えていきました。
私たちは、ずっとずっと、愛され続けてきた結晶でした。
手紙
親愛なる子供たちへ年老いた私がある日
今までの私と違っていたとしても
どうか そのままの私のことを
理解してほしい私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたに色んな事を教えたように
見守ってほしいあなたと話すとき 同じ話を
何度も何度も繰り返しても
その結果を どうか さえぎらずに
うなづいて欲しいあなたにせがまれて 繰り返し読んだ
絵本の暖かな結末は いつも同じでも
わたしの心を 平和にしてくれた悲しいことではないんだ
消え去っていくように見える
私の心へと
励ましの まなざしを向けて欲しい楽しいひとときに 私が思わず
下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がるときには
思い出してほしい
あなたを追い回し
何度も着替えさせたり
様々な理由をつけ
嫌がるあなたを お風呂に入れた
懐かしい日のことを悲しいことではないんだ
旅立ちの準備をしている私
祝福の祈りを捧げて欲しいいずれ歯も弱り 飲み込む事さえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私に どうか
あなたの手を握らせて欲しい私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのは辛い事だけど
私を理解して 支えてくれる心だけを持ってほしい
きっと それだけで それだけで
私には勇気が湧いてくるのですあなたの人生の始まりに
私が しっかり付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてきてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って
笑顔で応えたい私の子供たちへ
愛する子供たちへ
(ポルトガル語の翻訳・作者不詳)
感謝しかありません。何で、忘れてしまっているのでしょうか。
愛を思い出して、愛で溢れかえる世界にしていきたいですね。
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