改葬の旅にて再火葬前に、大熊教会で、朝6時30分のミサにあずかった。
ミサ中、何度も祝別をお願いしていた4人の名前を言ってくださり、
心が平安で満たされていった。
ミサ中の説教の中で、神父様が散骨の話をされた。
教会的には、認められないことかもしれない。
もちろん、墓を守る人がいなければ仕方がないところはあるのかもしれない、
という前提から
「遺骨ってなんだろう」と考えたときに
「大切なもの」ということに辿りついた。
「守りたい」「つなげたい」「忘れない」という気持ちが、
遺骨を墓に入れるということではないかという話だった。
お墓をどうするかは、その時の環境にもよるし、本人の選択もあると思う。
しかしながら、一番大切なことは、
命をつないで、生かされているということ。
人だけでなく、すべてのものから、命を生かされていること。
それをつなげていけるような生き方をしたいと改めて思った。
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