クリーニングの大切さ〜ヒューレン博士に感謝をこめて〜

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私がセルフアイデンティティー スルー ホ・オポノポノに出会ったのは2008年、ヒューレン博士が日本で2回目のクラスの時でした。
ゼロの概念に惹かれ、究極のヒーリングを探し求めていた時にヒューレン博士のことを知りました。クリーニングをするだけで精神病を患っている人を回復させた記事を読んだのです。
クラスに参加してもとても不思議なことばかり、概念だけではわかりません。ただただすべてにおいてクリーニングしていく、その姿勢を目の当たりしていつも深い気付きと実践することの大切さを教えて下さいました。

初めてクラスに参加したとき、クラスに飾っていた植物を持ち帰ることが出来たのですが、ヒューレン博士からアンスリウムを直接手渡された思い出は私の大切な宝物です。

アンスリウム


あれから年月は流れ、クリーニングできていないときのことが多い中でも、忘れかけるとクリーニングの大切さを思い出す出来事が起こり、クリーニングする機会があたえられます。

しかしながら、私には生まれてから積み重なってきた理解できないことが雪だるまのように膨れ、そこはクリーニングもしたくない領域が存在していました。

人生の折返し地点をすぎ、もしかしたら私が忌み嫌っていたことを「その人は理解することが出来ず、自分の思い込みだけでどうすることもできないのではないか」というインスピレーションが降りてきました。

人のせいにする。
人の悪口を言う。
思いやりがない。
愛がない。
人の領域に入ってきて自分をみようとしない。

と思っていたのは私の記憶であったことが最近、書籍を整理をしているなかで気づきました。

自閉症の場合は、言葉が話せる人も多く、柴田先生の友人にもそういう方がいました。ある日、パソコンを貸してほしいと言うので貸したら、そこに文章をどんどん書き始めました。「きみは口で会話できるのに、どうしてパソコンを使うの?」と尋ねたら、「口から出てくる言葉は、自分が話したくて話している言葉ではないのです。自分の意思ではうまくコントロールできなくて、勝手に出てしまう。こうしてパソコンで入力すると、自分の意思で言葉を選べるから、だからパソコンを使いたかったのです」。その方は一緒に食事に行くと、柴田先生のお皿から食べ物をつまんだりするそうです。「それも、やりたくてやっているのではないのです。勝手に体が動いてしまうんです」

柴田先生は、言いました。「言葉が話せてしまうことによって、逆に苦しんでいる方もおられます。自分の意思に反して出た言葉によって、周りが自分をどんなふうに思ったかがわかって、傷ついている。本当に伝えたかった言葉を見つけてもらったとしても、もう自分への評価は変わらないだろうとあきらめてしまう方も多いのです」

”見かけだけで判断しない”。これはすべての人に対して言えることかもしれません。みんなが多かれ少なかれ、思い通りにならない自分を抱えて生きている。

それを誰かが簡単に「いい」とか「悪い」とか、「この人はこうだ」と簡単に決めつけていないだろうか。

2017年7月 にんげんクラブ 心の目で相手を見る 岩崎靖子さんの記事より引用

そのインスピレーションが言葉を通じて確信に変わった時にすべてが押し流され、すべては自分であったことに気づきました。まる3日間ずっと泣きました。


ヒューレン博士は「あなたの前に現れる人はすべてが完璧です」と言っていました。
「いつも懐中電灯の光に黒い下敷きをあててみている」と例えて話されていました。


私が一番クリーニングしたいことにたどり着いたちょうどその時、ヒューレン博士が2022年1月15日に旅立たれたことを知りました。

一生をかけてクリーニングして下さったヒューレン博士の偉大さにただただ感謝と敬意と愛の気持ちでいっぱいです。

ご冥福をお祈りいたしますとともにヒューレン博士から受け取ったクリーニングすることをいつもやっていきたいと思います。

ありがとうございます。愛しています。

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