最近、「真面目だよね」とか「頑張りすぎ」と言われた言葉で深く傷つく経験をしました。
今までも、もちろんそんな言葉を言われたことはあったと思いますが、
今回、ひっかかってしまったのは、気づかないといけないことがあるからでした(笑)
「真面目だよね」と言われたときの状況は
多くのことを抱えていて、私がやらないと誰も気づかないし、やらないし、やれないことだったとき。
私がとっさにその言葉に返した言葉は
「真面目のどこがいけないの。私のこと真面目と思っているかもしれないけど、手を抜けるところは抜いているし、わからないかもしれないけど、そうならざるを得ない状況だったから」とおちゃらけて答えました。
でも心はザワザワしています。
「真面目だよね」の言葉にはいいも悪いもないのに、私は自分で真面目は悪いことだと思っていることに気づきました。
そのことを身近な人に話すと、「私は真面目でよかったと思っている。なぜならそれがあったからこういう人生を歩めていて、それが私だから」とのこたえを聞いたとき、
スーッと心のザワザワは消えていきました。
人から言われる言葉とは、自分が昇華できないでいた観念を手放すとき。
真面目は悪いことだとどこかで思っていた私。
それがあったからこそ、それが私だったからこそ気づけたこと、人生が展開されたことに改めて気が付きました。
そうです。自分を好きになるチャンスが与えられていたのです。
「真面目だね」という言葉は、その放った人が、気づかない、出来ないことを言葉で表現しているだけだったことに気がつくと
私ってこんなことに気づいて、その行動をすることによって愛を表現したいんだということがわかります。
言葉とはなんと奥深く、言葉を受け取るときの状態がとても大切であることがわかります。
「頑張りすぎ」という言葉にも、
「私はこれが普通なんだけど」と返してしまいました。
「頑張りすぎ」という言葉を放った人は、それが頑張りすぎの行動かもしれませんが私は、それをなんとも思っていないこと、むしろ自然とエネルギーがでてくる行動だったことがわかります。
そう、自分を知るチャンスを与えられていたのです。
なんということでしょう〜(笑)
受け取った言葉で傷つくときは自分を知るチャンス、自分を好きになるチャンスです。
そういう機会があったことに心から感謝しています。
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